別れ

 何ものも、死んだ僚友のかけがえには絶対なりえない、旧友をつくることは不可能だ。何ものも、あの多くの共通の思い出、ともに生きてきたあのおびただしい困難な時間、あのたびたびの仲違いや仲直りや、心のときめきの宝物の貴さにはおよばない。

サンテグジュペリ『人間の土地』)

木曜日、大学時代の後輩の告別式に参列するため広島へ。
朝早くに京都を出て、帰りはゆっくりと呉線に乗って帰ってきた。
秋とは思えないぐらい暑い日で、瀬戸内の青い晴れ空と海が広がっていた。



今はもう建て替えられてしまった小汚い部室で、
エレカシ奥田民生をかけながら、写真やマップルを片手に飲み、語る日々。
お調子者で、テキトーで、頑張り屋で、鋭いツッコミ屋で、麻雀好きで、面白い事が大好きで、
どこで生きていても誰からも愛される男だった。


いつだったか何の流れかも忘れたが、飲み会で僕が「こんな国はさっさと出て能力を活かして海外で生きていきたい」という様な事を口走ったら、彼が「えー、日本を見捨てないでくださいよー。」と言ったのを何故か鮮明に覚えている。どの口が言ったもんだと思うような傲慢な口ぶりの僕は、今だこの京都で藻掻いているのに対して、彼は彼なりの考えと気持ちに従い、目まぐるしい行動力で、大都市東京で働いた後に北海道の農業法人へと転職して地元に根付き、この春から自分のお店を開いたと聞いていた。日高の麓にあるその町は僕にとっても馴染みのある地域で、必ずその店に遊びに行こうと思っていた。勿論自転車を持って。
それなのに。今となってはどうしようもない、すれ違い。



よく分かっている奴が、どこでも寝られるようにとシェラフをお棺の中に入れてくれていた。
僕は言葉も出ず、涙も出ず、各地から駆け付けてきた仲間と共に見送った。
辛気くさい事は嫌いな彼の事を、平日の昼間から写真とビールを片手に、
お好み焼きと共にみんなで語り合い続けた。
そんな仲間がいる事の有難さ。


 これが人生だ。最初ぼくらはまず自分たちを豊富にした、多年ぼくらは木を植えてきた、それなのに、やがて時間がこの仕事をくずし、木を切り倒す年が来た。僚友たちが一人ずつぼくらから彼らの影を引き上げる。

生きていれば、自分より先に退場していく友を見送る事は、ある。
分かってはいるけれど、それでも、もっと長く生きていて欲しかったし、
生きて欲しい。
自分の事も含めて、ただ、そう、祈る。


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