北欧にて、自転車修理

時間があった日の朝に、研究所の作業室を使わせてもらって友達のチャリの整備を。

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俺、世界中のどこに行っても同じ事してる気がするなぁと思わずにはいられない、無心至福のひととき。

全く変速できない状態を直そうと思ってとりあえずいじってみたら、よく見ると後輪ハブの玉受けがガタガタのまま走っていたため、ハブシャフトが中で"への字"型に曲がっているっぽかった。そのためタイヤはフレフレ、ブレーキはシビアにはセットできず、ついでにエンドも少し曲がってる。

根本治療はパーツ交換しないと無理なので、とりあえずディレーラー調整。変速自体はワイヤーのテンション張り直しと可動域調節でほぼ全段使えるようになったが、いくつか歯飛びするギアがある。そこは使わないように我慢するしかない。北緯68度の村に、チェーンやスプロケットがすぐ手に入る店があるはずもなし。。。

ブレーキ調整はいくら頑張ってもタイヤが振れる以上どうしようもなく、最低限効く程度に締め直し。

一応、変速はできるようになりました〜。ってところでfikaの時間(=10時と15時のお茶タイム)になり終了。研究所のお土産に持ってきた八つ橋(生の餡入りのと焼いたのと2種類)が割と好評だったのでよかった。

 

自転車がちょっだけ快適になったので、しばし借りてちょっくらサイクリングに。

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めちゃめちゃ良い天気!

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Torneträsk湖もきれいに見渡せて、快適なサイクリング日和〜。

・・・と思いきや、家に戻りのんびりしてると、

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風雪激しくすっかり北国の景色。

そんな中も電車は健気に家の前を走っていくのでした。

 

  

北欧にて・その3

 シェフGon氏による男の手料理シリーズ。

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ジェノベーゼペーストと貝っぽい何かを使ったパスタ。

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トムヤムクン+麺。お土産の生酒とイカの干物をアテに。
向かいのEricは汗ダラダラに。それでもイカを残り汁につけてはうまいと言って食べていた。
干物のうま味もちゃんと感じてくれよ・・・。

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残りものでキムチ鍋な夜。これを食べると学生時代に自転車旅行をしていた時の夜を思い出す。

あと写真はないけど、毎朝ご飯(のりと梅干し付き)と味噌汁を頂きました。ごっつあんです。

 

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初めの二日ほど一緒に泊まっていたRutgerらからも晩ご飯をご馳走になりました。
ほうれん草っぽいものが入った生パスタに野菜やら肉やらが入ったもの。

 

 しかしスーパーが一軒あるも、コンビニなど当然なく安い定食屋も(多分)ないこの村で一人暮らすには、自炊能力が必然的に求めらるのかもしれないが、Gon氏の手まめっぷりには脱帽させられる。そんな彼でも「これで『お風呂』があれば、いい所なんだけどなあ」と呟く。そう、この国にはサウナはあっても湯船がない。古い地質年代の土地だから掘っても温泉は湧かない。確かに、食事に関しては頓着無い僕だけれど、一日スキーをして帰ってきた後にほっこりとお湯につかれなかった日の夜は、何か物足りない気がしてしまった。(翌日激しい筋肉痛になったのは運動不足ではなく、そのせい・・・のはず。)


 

 自炊していると北欧に来たって気がしない瞬間もあったけれど、スウェーデンっぽいものを食べる機会も勿論あった。

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Abisko Turiststationのランチビュッフェ。(食べかけで申し訳ない・・・。)
 右の皿に載っているクッキーみたいなのはknäckebrödというパンの一種で、味も深く結構美味しい。直径が50cmぐらいあるので、お土産にするにはザックの中でバリバリに割ること必至故に断念。(後でKimberleyが言うには、割れてもシリアルにして食べるといいよーとのこと。)

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同じくTuriststationのshopでひっそりと売られていた手作りマフィン。2個で150円ほど。うまし。

 

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Jonatanが食べてたのを真似して、帰りの夜行列車用にパンとキャビア入りペーストを購入。
奥さん、キャビアですぜキャビア。(※ kaviar=魚の卵全般を指すっぽい)
ネタと侮るなかれ、タラコっぽい食感としょっぱめの味が、甘めの柔らかいパンとマッチしていて気付けば何枚も食べてしまうそんな日常食。横着と言えば横着な旅行食。

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そして睡眠のお供にワインのミニボトルを車内で購入。南アフリカ産・・・。

うまけりゃいいのだ。

北欧にて・その2

 KirunaからAbiskoに向かう車中でAndresが言った。

「調子はどうだい? その、つまり例えば、Kyotoはnormalかい?」

 Kyotoは被災地から1000キロぐらい離れてるし、表面的には至ってnormalだよと僕は言った。でも去年は本当に悲惨な年で、recoveryはまだまだ進行途中だと。

 他の時にも、そんな話を何かの折にふとすることがあった。天災と人災。二つの問題が同時に起こり・絡み合い、問題の解決を複雑にしている。日本人は歴史的環境的に前者に対しては耐性が高いが、後者に対して漠然と我々自身のエラーに気づき認めることにまだ苦しんでいる段階だと思う。それどうすればをうまく修正する事ができるのか、僕にはまだ分からない。でも考え続けないといけない。

 Stockholmでの晩ご飯で、チリ出身スウェーデン人に言われた「大きなダメージがあった後に日本人は必ず復活し前以上に強くなれるから、今回もきっと大丈夫だと僕は信じている」という言葉は、いかにもラテン系なノリを差し引いても嬉しかったが、良い意味でも悪い意味でも日本の復元力は凄い。願わくば、大切な事まで忘れてしまうような復元ではないことを。

 

 

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  朝、早起きして外を歩いていると、Kiruna鉱山からNarvik港へと鉄鉱石を運ぶ列車が通りかかり、Njulla山と共に朝焼けに照らされてほのかに赤く染まっていた。

 

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 道路まで下りてLapportenを望み、ただただ。

 

北欧にて・その1

日に日に暖かさが増し春へと近づいている京都の夜、ふと空を見上げて見える雲が緑色ではなく白色であることに気づき、急に現実に引き戻された気分になる。

約10年前、Anchorage からせっせと自転車を漕いでたどり着いた「Arcitic Circle   Latitude 66º33' 」の看板のところで写真を撮ると、僕はそれ以上北へとは進まずFaribanksの町へと引き返した。

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一月近くかけてやっとたどり着いた北極圏へと、
AlaskaとLapplandと場所は違えど、今度は飛行機で一瞬にして訪れる事ができた。

 

 北緯68度の村、Abisko

 Gulf streamのおかげで緯度の割には暖かく、3月にもなると夜と昼が同じぐらいに日も長くなっていた。しかし目の前を電車が走るような土地とは言え、時には北極圏の顔を少しばかり見せてくれる日もあった。

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こんな日に「線路の外の風景」の歌詞のように、見渡す限り雪原の中を歩いていると、同じところをぐるぐると回り続ける事うけあいだ。こんな時は家の中でのんびりとコーヒーでも飲む事にしよう。(※ 近所のスーパーへ買い物に行くときの一枚。先に行っておかないと6時に閉まっちゃうからね。)

 

 週末をアウトドアに費やすのに最高の環境であるもとい、ツンドラでの植生を研究するには最高の環境であるとはいえ、やはりそれなりに厳しく寂しい場所なんだなと思わずにはいられなかった。この土地で2年間をproductiveに過ごす事ができるのは日本人研究者数多しとはいえGon氏を含めそれほど多くはないだろう。少しの間だけの滞在だったけれど、まだうまく言葉に出来ない「この世界で生きていくための心持ち」の様なものを感じ・見せつけられた。

 現地で出会った様々な人たちに感謝をしたい。

 

           *          *          *

 

  一年振りに再会したAndresにKiruna空港でピックアップしてもらい、満月の下100kmの道を走る途中で雲のような薄ぼんやりとしたオーロラが見えた。Abiskoに着いたのは夜遅くになったけれど、サプライズパーティーですっかり出来上がったGon氏と歩いて帰る道すがらオーロラは少しだけ明るさを増しており、お邪魔する彼の家にたどり着いた頃にはベランダから北の空にきれいに見えていた。

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雪の京都にて

もう大分前の事の様な気がする慌ただしさで日々が回っているが、この日は未明から雪が降り積もりはじめて、朝には京都市内でも珍しいぐらいの雪が積もっていた。

窓からさす白く明るい光に起こされ、朝から銀閣寺まで足を伸ばしてみた。

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しんしんと、雪が池の中へと溶けていっていた。

思えば大文字山には何度も登っているのに銀閣寺の中を参拝するのは初めてで、このタイミングで訪れる事が出来たのはとても幸運だったと思う。想像していたよりも庭が広く、少し高台にもなっているので吉田山界隈をのんびり眺めるのにもよいお寺である事を今更ながら知った。

しかしここまで来たら、もっと高い、いつもの所へ。と大の字のところまで上がった。

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大の字に並ぶ火床がまるで雪見大福の様にこんもりと丸まって、白く染まった京都を見守っていた。

 

東京にて

12月23日。久々の東京。少し時間があったので東京都写真美術館へ。
映像をめぐる冒険という展示の中にAuthagraphと呼ばれる方法で現した地球表面の世界地図があり、その地図は二次元平面で結晶格子状に並べる事ができ、それが見事なp2対称性(a=b, γ=60º)を持っていたので個人的な親近感が湧いてしまった。
その後、サンタの格好をした大量のハーレー集団が通り過ぎる原宿をさまよって辿り着いた場所で、石川さんと御手洗さんのブータンの話を聞くひととき。東京には色んな物や人や情報がごちゃごちゃと混在していて、いまいち現実感が追い着かない。
夜は友人らと新宿の思い出横丁にて焼き鳥とビール。新宿に思い出はないけれど、彼らとは近況報告や今後の事などとめどなく話しつづけられた。めいめいが違う自分の日々を送りながらもどこかでニアミスしている、そんなゆるい繋がりがあるのはやはり面白い。
程よく酔ったまま夜行バスに乗り込む。3列シートの1号車よりも安い、4列シートの2号車だったが、おかげでか乗客が少なく広々快適に寝ることが出来た。


12月25日夜。女川での用事が済んだ後、石巻駅で先輩と約半年ぶりに再会して飲み屋へ・・・の前に、かまぼこの白謙が開いていたので立ち寄って、兄の家と実家にかまぼこ詰め合わせセットをお歳暮代わりに送った。そして当然、僕も先輩も自分用に笹かまぼこを1本買い、もぐもぐしながらアーケード街を歩いた。
お互い積もる話やくだらない話や辛い話をしつつも、話の中心には常に「ひと」individual があった様に思う。
ひとりひとりの人にはそれぞれの背景と日常があって。
一人の人ができるのは実際ほんとうにミクロな事な訳で、だからといって意味が無いわけでも軽んじてよい訳でもなく、皆が日々をこなしていける事が大事なのだと思う。

 

 

石巻にて

12月24日夜、うっかり手違いで宿が素泊まり予約になっていたので、ご飯を食べられそうなお店を求めて雪の降り始めた暗い夜道を、所々側溝が無いのに気をつけながらぽちぽち歩いたり走ったりすること30分。避難所としては最近閉鎖された小学校の前を通り過ぎて、もう少しで市街地に着くかという時に現れた一軒の居酒屋。

少し緊張するも空腹がまさって引き戸を開けるて中に入ると、一組のお客さん夫妻と店主夫妻がおられた。そこにお邪魔するようにカウンターに闖入してしまったけれど、話かけてもらって色々親切にして頂いた。実は客と店主らは避難所でのお隣さんだったそうで、周りの家がほとんど流された中この店はその場に残っていて、店主曰く「まだ店を続けろっちゅー訳ですわ」と40年以上続けていた店を再開したとのこと。おかげで僕は温かいご飯を頂くことができた訳だ。

注文した魚も焼き鳥もご飯も味噌汁もどれも美味しく、幸運に感謝しつつ満腹ほろ酔いでまた宿まで夜道を歩いて帰った。

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