Surviving alone

気づけばまたもや一年(以上)経ってしまった・・・。

NYCに引っ越してから一年、その間に、ラボのセットアップをしたり一時帰国してビザの更新したりゴンちゃんの結婚式二次会に参加したり娘がハイハイし始めたり同僚が増えたり新しいコラボが始まったり冬が過ぎたりDCに桜を見に行ったりパン焼き機をAmazonで買ったりニューヨークに慣れてきたりボストンに何度も出張したり娘が歩き始めたりたまーにクライミングジムに行ったりドイツの学会に参加したり妻と娘が一時帰国して束の間の独身貴族生活をしてたり(←イマココ)と色々あった。

ドイツの事は書きたいなと思いつつ、学会も楽しかったし、パンも料理もビールも美味しく空気もきれいで街も静かで、そこら中にある機械(自販機やコーヒーマシン)はどれひとつ壊れてなくて素晴らしかったのだけど、空気の汚いゴミゴミしたNYCに帰ってきたら帰ってきたでとても落ち着いた気分になったのが自分でも印象的だった。色んな国の人が好きなように生きているこの国の方が、海外で生活するという点では気楽でいいのかもしれない。

で、今はしばらく一人暮らしをしているのだけど、昨年の一時帰国の時と同様に妻が用意してくれた大量の冷凍ストックのおかげで飢えることなく生活ができている。元々結婚するまでは長いこと一人暮らしをしていたので一通りのことはできるはずなのだが、結婚してからは色々頼るようになっていてその有り難さが改めて身にしみる。それと、結婚する前も中距離で離れていたので、インターネット経由のテキストメッセージやらビデオ通話などで繋がっておくのも慣れているが、今回は娘が大きくなってきているのがいつもと大きく違う点だ。丁度1歳〜1歳半のみるみる成長する頃に目の前にいないのは正直少しさびしい。これが5歳とかだと普通に言葉で会話できるだろうからそこまででもないかもしれないが、昨日できなかった事が今日できるようになったりする年頃に間近で見られないのは勿体ない。ディスプレイ越しに見ていても分かるほど、彼女は日々新しいことを覚えたり挑戦したりしていた。幸いなのは、ディスプレイ越しであっても一応自分のことを認識していてくれることかもしれない。来月久しぶりに会った時にどういう反応をするのかが今から楽しみだ。

それまでは実験もりもり頑張るぞー。

Hello Big Apple

そんなわけで、ニューヨークに引っ越しました。業種は変わってません。

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(NYC行きのAmtrackからの眺め)

 NYCまでは電車でひとっとび。絶妙な揺れ具合が本人的には心地良かったのか、車中も娘はストローラーの中でぐっすり寝てくれていた。街のど真ん中の駅から出た瞬間から、人・人・車・車・ビル・ビル・ビル…。街のうるささもあったが、何より田舎から来た我々には空気の汚さが耐えがたかった。まるで東京に来たかのような気分だった。

 それでも生活の方は、住む所が既に決まっていたのと、この1年でそれなりにこの国に慣れていたのもありスムーズに始める事ができた。とはいえ、物価の高さにはまだ慣れないが・・・。

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(新生活の定番、イケアまでフェリーで買い出し。)

 日本の地方都市で生まれ育った田舎者が、まさかこんな世界の中心地に住む事になるとは夢にも思っていなかったが、住み始めてしまえば日々の生活はそれほど変わらない。むしろ仕事の面では同じ業界の人も多くなって、良い事の方が多さそうだ。まだまだ頑張っていきたいと思う。

 

Good Bye New England

娘も元気に育ってくれている中、この街を離れた。

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(毎日通い慣れた職場の前から景色。ちなみに芝生のとこにウサギが2匹いた。)

  一年とほんの少しの間だけだったけれど、初めは右も左もわからなかったのがいつの間にか住み慣れ、多くはないけれど公私ともに友達もできていた。日本を離れるときは感じなかった「去るのが惜しい」という気持ちを感じるのは、大学時代を過ごした京都から離れたとき以来かもしれない。特に我々夫婦にとっては、まともに一緒に暮らし始めた最初の街であり、妊娠・出産を経験して娘が生まれた街でもある。本人は覚えてないだろうけど、またいつか訪れたときも今のままの良い街であって欲しいと思う。きっとその時にはもう知っている人もいないのだろうけど、研究者をやっている限り、彼らとはまたどこかで出会えるのではないかと期待をする。

 

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(University bridgeより望むCharles river)

 引越し業者が家の荷物を全て積み終え、空っぽになった家を引き払った。夜は市内のホテルに泊まって翌日移動する予定だったので、チェックインをして荷物を置いたあと、家の近くのお気に入りのレストランへ晩御飯を食べに行った。その道すがら橋の上からCharles riverを撮ったのだが、あとでこれが2年以上前に撮った写真とそっくり同じだった事に気付いた。

 たまたま大学時代の後輩がこの日に仕事で来ていたので、最後の晩餐を共にすることにした。彼は娘が生まれた時にもちょうど仕事でこの街に来ていて、まだ病院にいるときに遊びに来てくれたという、なんともタイミングのいい奴だった。大学時代に一緒にルームシェアもしていた後輩が、共に子供が生まれて父親になっても気軽にこんな異国で一緒に飯が食えるのがなんとも不思議だった。

 日が落ちるまで食べて話をし、彼を最寄りの駅まで送り、幾度となく我々も乗ったその電車が夜の中を走っていくのを、しばらくずっと眺めていた。

長女誕生

寒く長い冬も明け、ニューイングランドにメープルの花が咲き、そして葉が広がり始めた春まっただ中、彼女は生まれた。頑張ってくれた妻と子供には感謝しかない。

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 妊娠が分かり子供の名前を考え始めた時から、なぜか女の子の名前しか思いつかず、果たしてultrasoundで女の子だと分かった。夫婦でいくつか名前の候補を出し、僕は植物の入った名前を希望した。画数と語感(誰にでも発音しやすいもの)で候補を絞り、最終的にはティッシュ箱に入れたくじ引きで決めた。日本では生まれて顔を見てからしっくり来るのが決まるとも言うが、アメリカでは誕生翌日か翌々日には病院で出生届を提出するので悩んでいる暇もなく、生まれる前からその名前で呼んで馴染んでいたのもあり、割と迷い無く名前は決まった。

 陣痛は夜の2時未明から始まり、子供が産まれたのは丸一日回ってその翌日の朝。陣痛でほとんど寝れなかった妻にとっては実質2晩徹夜。僕自身は、時折椅子で休みつつも、ちゃんと横になれたのは出産後の夕方近くの約36時間振りの事だった。放射光実験もびっくりのハードスケジュールは、もういい歳の自分には流石につらい。(そして、陣痛が始まる前日に仕込んだ大腸菌プレートの事は、当然のことながらインキュベータ内に忘れていた。)

 生まれた瞬間からすぐ娘は力強い声で泣いてくれて、臍帯も繋がったままカンガルーケア(skin-to-skinでの抱っこ)をする妻も号泣。僕はクランプに挟まれた太い臍帯を専用のハサミで切ったのだが、臍帯は見た目以上に固さと弾力との両方があり、思ったよりも力の要る作業だった。胎児に栄養を与えるためにこれだけ頑丈にできているから、簡単に切れたり滞ったりしないんだろうなあと、関心しつつも今更ながら安心したのを覚えている。

 出産後はラボにも行かず、一度カーシートを取りに家に戻った時以外は2日間の入院の間ずっとpostpartum roomで妻娘と共に過ごした。今までずっと妻のお腹の中にいた小さな生き物が、swaddlerに包まれて今は自分の腕の中にいる不思議な感覚を、僕はのんびりと味わっていた。感動や幸せといった特別な感情がわき上がるのでも無く、ただ自分がやらなくてはいけない事をやらなくてはいけないな、という義務感のような、それでいてどこかわくわくする楽しみとの両方が当たり前のようにそこにいた。

 親としてはとにかくご飯に困らないように頑張りつつ、彼女の自分の人生を楽しんで生きていけるように見守っていきたいと、ただ願う。

 

 

 

NYC

2月の連休を利用してニューヨークはマンハッタンに旅行してきました。

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 (ロックフェラーセンター屋上展望台からの眺め)

 

 今回は格安バスを利用して30ドルちょっとで往復でき、名古屋からちょっくら東京に遊びに行くぐらいの感覚で遊びに行けたのだが、世界で最も有名な大都会にここまで気軽に行けるのも凄いなと思う。またいつでも来れそうだし、あまり予定を詰め込まず、定番の観光スポットを何個か押さえる程度にしておいた。

 そもそもは、日本の友人が遊びに来てうちに滞在している間、せっかくなので一緒にニューヨークまで足を伸ばして観光に行く計画だったのだが、今年に入ってから頻発する大雪・ストームにぶち当たってしまい、友人はアメリカ国内線での乗り換えでまさかのフライト変更。結果的に、先にニューヨークに行ってもらって現地合流する羽目になったのだった。

 さて出発当日。市内の電車も前面運休した大雪の日が明けて翌朝、我々が乗るはずのニューヨーク行きのバスは時間になってもバス停に現れない。係の人も現れず、何が起きてるのか分からないまま、他の客は当たり前のようにその場で並んで待ち続けている。不思議な事にこういう時のアメリカ人は、待つことに関しては異常に我慢強い(当然、ラーメン屋での行列待ちも平気)。待つこと1時間半、何故か代替で他の会社のバスが現れて無事我々はニューヨークに向かうことが出来た。バスの中はwi-fiも使えて便利。朝が早かったので、車中で寝てる間にマンハッタンに到着。バス停からタクシーでグランドセントラル駅に行き、だだっ広い駅構内で無事、友人と落ち合うことができたのだった。

 そのまま駅地下のフードコートで、NY発の大人気ハンバーガーの昼食。これは大きさも控えめで、モス系の優しい美味しさのバーガーだった。しかし、こちらの牛肉しっかり系のハンバーガーを気に入っていた我々には物足りず、家の近所のお店の方にどうしても軍配が上がってしまう。(ちなみにここのお店は日本に進出予定らしい。)

 その後は高層ビルに上ったりタイムズスクエアで記念撮影したりとベタに観光をしてから、早めの晩ご飯へ移動し、そこで同期のTH一家と合流。NYで彼と会うのは2年降りで、思えばその時もニューイングランド地方にHistric snow stormがぶつかって、彼の家の雪かきをしたり家が停電になったりと、どうも彼と会うときには気象的にロクな事がない。卒業から7年近くが経ち、いい歳して留学を始めちまった自分と、研究者としての節目にいる彼。お互い先のことは分からないけれど、日本から遠く離れたこの国で藻掻いている仲間がいるのは心強いと同時に、自分も負けられないなとも思う。

 早めの夕食を終えた後は彼らと別れ、ブロードウェイのミュージカルへ。恥ずかしい話この国に来るまでは、ブロードウェイというのは何かストリートパフォーマンスをしている大通りの名前かと思っていたのだが、いざ実際にチケットを手配する段階になって初めて、そのエリアに一つでは無くたくさんの劇場が点在していて、それぞれで劇やミュージカルやパフォーマンスアーツなどを行っている事を知ったのだった。観に行ったのはこれ。自分が観たことのあるミュージカルといえば、サウンドオブミュージックとかレミゼラブルなどの映画しかなかったので、目の前で生の人間が歌って踊るのを観るは初めての事だ。そして、とても素晴らしかった。ありきたりだけどこれしか言えないほど良かった。

 観ている間につい考えてしまっていたのは、いま目の前で歌っている人たちは、どれほどの努力してこの場に立っているのだろうか、という事だった。いやしくも科学研究の世界で生きていこうとしている自分は、それに見合うだけ事が出来ているのだろうか、そんな事ばかり考えてしまっていた。

 

 

 ミュージカルを見終わった後は、真昼のように明るいタイムズスクエア近くのバーで少しゆっくりしてからタクシーでホテルへ。グラウンドゼロの横に立地しており、新しいビル群の建設が窓から見下ろせる部屋だった。夜遅く就寝。

 

 朝起きると、雪。

 自由の女神を近くまで見に行くのは諦め、NY定番のパンケーキを食した後に、9/11 Memorial へ。雪が降っていることも相まって、とても静かな場所だった。

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 あれから13年。跡地をどうするのかについてどういう議論があったのかは知らないが、水の落ち続ける二つのプールという慰霊モニュメントというのは、様々な立場の人に配慮をしなくてはいけないこの国らしい、印象的な建築物だった。

 9/11 Museum を出た後は川沿いの公園まで歩いて、自由の女神を遠目に見てから帰りのバス乗り場へ。帰りは問題なくバスも来て、爆睡している間にいつもの町へと戻った。たった一日ぶりだったけれど、NYと比べて遥かに暗いこの見慣れた町並みに近づくにつれて、ああやっぱり地元は落ち着くな、と不思議な感慨に浸っていた。

 そして、家に帰り友人と友人の荷物を放り込んだ後、僕は細胞を回収するべく一人で夜のラボへと行ったのだった。

 

Happy Holiday, Happy New Year

クリスマスの写真をアップしようと思ってダラダラしていたら年が明けてしまいました。

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あけましておめでとうございます。(おい

 

 学生時代の年末年始は、当然のように自転車乗ってたり山の中にいたりしていたのが、途中からラボで実験するように変わっただけで、年に一度帰省するかどうかのひどい有様だったのだけれど、昨年はさすがに所帯を持ったので、正月はごく常識的に両家の実家で過ごしていた。うって変わって今年は、日本から遙か離れた東海岸。こっちに来てたった半年で正月のために一時帰国するお金があるわけもなく、ホリデーシーズンも特に関係無くこちらで通常運転していた。

 とはいえ25日はクリスマスっぽいこともしようかとお昼に映画を見に出ると、街中がお休みモードでほとんどの店は閉まり路地を歩く人もまばら。お昼を買おうと探し回り、やっとガソリンスタンド併設のダンキンでベーグルにありつけた。他にも流れ着いたランチ難民がカウンターに列を作っていたが、手際のいい店員2人がさくさく回していた。2人とも見た感じクリスチャンでは無さそうな女性だったので、良い意味でも悪い意味でも多様な人的資源でこの国は回っているのだろうかと想像していた。

 見た映画は Night at the Museum: Secret of the Tomb。「ナイトミュージアム」の第3作目で、今調べたら日本では3月に上映予定の作品だった。シンプルなストーリーに、言ってる事が分からなくても楽しめる内容(大英博物館の展示品が大暴れ)だったため、字幕無しでも十分に楽しむ事ができた。子供連れで来ている家族も多く、面白い事を言ってるシーンで観客が大声で笑うのがアメリカらしかった。1作目も2作目も見た事が無かったけれど、wikiで調べた感じこちらも面白そうだったので(3もそうだったけど展示品にちなんだ小ネタが多い)、図書館辺りで借りれたらまた見てみたい。

 年越しは、おでんを作り溜めておいて、こちらの年越しライブ番組を見ながら家でだらだら。一度、7時に街の公園で上がる花火を見ようと出かけるも電車を逃してしまい、地下鉄乗っている間に花火が終わってしまうのを恐れて、少し歩いた近所から花火が遠目に上がるのを見る始末。そしてあまりの寒さにさっさと退散し、インスタントカップ蕎麦をすすりながらTV越しにTimes squareの混みっぷりや近所の海岸で上がる花火を見て年を越した。

 昨年は、ここ6年間の蓄積を大放出した様な1年間で、ここまで良い事のみが続く年はもう二度と無いんじゃないかと逆に不安になるぐらいだった。決して僕一人の力ではなく、多くの人たちに助けられてどうにか前に進む事ができたのだけれど、僕の名前が入った論文が二つも出て、留学を始める事もでき、残してきた日本の宿題も終わり、結果としては文句の無い一年だった。一方で、また1から積み上げて行かなければいけない日々が始まり、うまくいくかどうか分からない先の見えない状況に、再び自分が耐えられるのかどうか不安でもある。

 今年は、昨年にも増して変化の多い一年になりそうな予感があるので、限られた時間を有効に使えるよう仕事をしていきたい。最低でも、今のプロジェクトで芽がでて育てられるぐらいになること。そして家族を大事にすること。(あと、いいかげん車の免許取らないとなぁ・・・これは1月中の目標にしよう。)

 では、今年もよろしくお願いいたします。

宿題

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産まれて初めて見た大西洋の浜辺と、たたずむ sea gull。

 

 淡々と実験の日々が過ぎるようになり、気付けば渡米から5ヶ月が経とうとしている。その間に、親が来たり親戚が来たり誕生日が来たりリトリートに出かけたりした。今のラボは、メンバーの誕生日にケーキを用意してお昼に適当にみんなで食べてお祝いする習慣があるので、僕の時はイタリア人お手製のうまいティラミスを頂いたりした。ローソクの火を吹き消すのなんか、何年振りにしただろうか・・・。(ちなみにヨーロッパ系&アジア系のラボらしく、ハロウィンの今日は至って平常運行で一日が終わった。)

 その間も、日本で中途半端に残してきた仕事を短報として簡単にまとめて論文に出すべく書き物をしていたのだけれど、やっと今週アクセプトの連絡が届いた。まだまだspeculativeな点も多いけれど、僕が知りたいと思っている事の一つのモデルとしてまず提示する事が大事だと思い、何であれ形にして出せそうで良かったと思う。とはいえ、もっともっと実験的証拠を集めておくべきだったので満足はできておらず、今後の研究で(モデル通りであったとしてもなかったとしても)はっきりさせて行きたいと思う。

 ここからが本当のスタート地点。頑張ろう。
(まずは英会話の練習から・・・デスクワークが多いとあまり喋らなくて済むんだよなあ・・・ぼそぼそ)