長女誕生

寒く長い冬も明け、ニューイングランドにメープルの花が咲き、そして葉が広がり始めた春まっただ中、彼女は生まれた。頑張ってくれた妻と子供には感謝しかない。

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 妊娠が分かり子供の名前を考え始めた時から、なぜか女の子の名前しか思いつかず、果たしてultrasoundで女の子だと分かった。夫婦でいくつか名前の候補を出し、僕は植物の入った名前を希望した。画数と語感(誰にでも発音しやすいもの)で候補を絞り、最終的にはティッシュ箱に入れたくじ引きで決めた。日本では生まれて顔を見てからしっくり来るのが決まるとも言うが、アメリカでは誕生翌日か翌々日には病院で出生届を提出するので悩んでいる暇もなく、生まれる前からその名前で呼んで馴染んでいたのもあり、割と迷い無く名前は決まった。

 陣痛は夜の2時未明から始まり、子供が産まれたのは丸一日回ってその翌日の朝。陣痛でほとんど寝れなかった妻にとっては実質2晩徹夜。僕自身は、時折椅子で休みつつも、ちゃんと横になれたのは出産後の夕方近くの約36時間振りの事だった。放射光実験もびっくりのハードスケジュールは、もういい歳の自分には流石につらい。(そして、陣痛が始まる前日に仕込んだ大腸菌プレートの事は、当然のことながらインキュベータ内に忘れていた。)

 生まれた瞬間からすぐ娘は力強い声で泣いてくれて、臍帯も繋がったままカンガルーケア(skin-to-skinでの抱っこ)をする妻も号泣。僕はクランプに挟まれた太い臍帯を専用のハサミで切ったのだが、臍帯は見た目以上に固さと弾力との両方があり、思ったよりも力の要る作業だった。胎児に栄養を与えるためにこれだけ頑丈にできているから、簡単に切れたり滞ったりしないんだろうなあと、関心しつつも今更ながら安心したのを覚えている。

 出産後はラボにも行かず、一度カーシートを取りに家に戻った時以外は2日間の入院の間ずっとpostpartum roomで妻娘と共に過ごした。今までずっと妻のお腹の中にいた小さな生き物が、swaddlerに包まれて今は自分の腕の中にいる不思議な感覚を、僕はのんびりと味わっていた。感動や幸せといった特別な感情がわき上がるのでも無く、ただ自分がやらなくてはいけない事をやらなくてはいけないな、という義務感のような、それでいてどこかわくわくする楽しみとの両方が当たり前のようにそこにいた。

 親としてはとにかくご飯に困らないように頑張りつつ、彼女の自分の人生を楽しんで生きていけるように見守っていきたいと、ただ願う。