北欧にて・その2

 KirunaからAbiskoに向かう車中でAndresが言った。

「調子はどうだい? その、つまり例えば、Kyotoはnormalかい?」

 Kyotoは被災地から1000キロぐらい離れてるし、表面的には至ってnormalだよと僕は言った。でも去年は本当に悲惨な年で、recoveryはまだまだ進行途中だと。

 他の時にも、そんな話を何かの折にふとすることがあった。天災と人災。二つの問題が同時に起こり・絡み合い、問題の解決を複雑にしている。日本人は歴史的環境的に前者に対しては耐性が高いが、後者に対して漠然と我々自身のエラーに気づき認めることにまだ苦しんでいる段階だと思う。それどうすればをうまく修正する事ができるのか、僕にはまだ分からない。でも考え続けないといけない。

 Stockholmでの晩ご飯で、チリ出身スウェーデン人に言われた「大きなダメージがあった後に日本人は必ず復活し前以上に強くなれるから、今回もきっと大丈夫だと僕は信じている」という言葉は、いかにもラテン系なノリを差し引いても嬉しかったが、良い意味でも悪い意味でも日本の復元力は凄い。願わくば、大切な事まで忘れてしまうような復元ではないことを。

 

 

f:id:suzukichihiro:20120311150818j:plain

  朝、早起きして外を歩いていると、Kiruna鉱山からNarvik港へと鉄鉱石を運ぶ列車が通りかかり、Njulla山と共に朝焼けに照らされてほのかに赤く染まっていた。

 

f:id:suzukichihiro:20120311152318j:plain

 道路まで下りてLapportenを望み、ただただ。